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デコられた地球

千葉にも雪が降りました
今年は初の積雪です。

デコられたっていうのか
粉糖かけて自分たちより遥かにでかい何者かが地球を食べようとしているのか
雪が降ると地球のディテールが消えるような感じを毎回雪が積もると思います
モシャモシャした木々が雪で絵みたいに簡単になるし
畑はあたり一面雪しか見えなくて、ごつごつした地表が見えなくなる
風景を簡略化していて雪ってとても建築的

とはいえ、一日で大体そんな景色は消えてしまう程の積雪量なんで
感慨に浸る暇もないんですけどね
残念
いろいろ引き出せそうな気がするんだけど

さてさて、修士設計の提出があと少しです
今日ももりもり手伝おうかと思います
ではでは


2010.02.04(Thu) - 日常


ギャラ間で講演会

こんばんわ
おひさしゅ〜

ギャラリー間で開催されている建築家の読書法っていう展示会のトークイベントに行ってきました
TOTO出版も今年で20周年らしく、それを記念して2000円で5冊ほど出版する様で
もう出版されているものもあるけれど気がつかなかなかった
学生には嬉しい
建築の本は基本的には高いからね
もうチョイ安くなってくれると大分買いやすくはなるんだけど

それはそれでおいといて
今回はそのイベントは建築家平田晃久さんによる公演
平田さんは建築形態を建築以外の生物形態である「ひだ」というところからもってきたりする思考の持ち主
その思考のプロセスはどこから来るのか、この講演会を通してこと細かく説明してくれた
自分の思考のベースとなる虫取り少年であった頃のこととか
それで興味をもった人とそれ以外の生物の認識の仕方の違いだとか
同じものであったとしても捕らえ方によっては良くも悪くもなるようなものがあるように
解像度を上げたり下げたりすることで全体を捉えその空間的有効性がある物を
(この場合「ひだ」
建築化する。
結びとして自作について
自然の中にある形として完結的なものではなく広がっていくようなものでなくてはならない
ということで締めくくっていた。

自然という時間軸を含んだ中での建築のあり方についての言及は建築の根底に流れているテーマではあるが
そのテーマの解釈の仕方は今までに無く新鮮で、かつやはりその前の世代のポストモダンといった言葉のある建築からの脱却としての一つの解答として面白い

一番興味深かったのは空間について話してくれたこと
建築家に限らず建築をやってる人は「空間」というワードを良く使っているのは当たり前のことだとは思うんだけど
実際、「空間」とは何なのかといわれたときに反応できない
言語化できなかった
平田さんも大学時代に空間について「なんぞや!」っておもったらしく原広司著の「空間」をよんでから
空間というものに関しての理解を深めていったといっていた。
それを考える上で
ニュートン的なる空間の捕らえ方と
ライプニッツ的なる空間の捕らえ方がある
ということから考えなくてはいけなくて
前者は空間とはものがあってはじめて認識できるものとし
後者は空間とは事物同士の関係によって生まれるとしている
近代建築において前者の主張がミースの均質空間(ユニバーサルスペース)へとつながり
建築表現の主戦軸となったけど
近代建築以降である現代においてライプニッツの建築の捕らえ方は今大分繁栄されつつある
逆にいうとそのことをわからずに建築化していても現代における建築とはいえないということにもなりかねない
今回いってわかったのは
平田さんはその広がっていく自然形態のような建築のあり方を、関係性の中の空間で建築している新しい建築家像のように感じれた。
空間という建築のコンテクストと、自然という建築以外というコンテントを持ち合わせることの重要さを学んだ講演会でした

とりあえず、配られていた平田さんが推薦する本を読んでみよっ

ではでは


2010.01.28(Thu) - 建築


ミーハー

おひさしゅう!
気が向いたのでちょいと書いてみます。
今日は久々に時間がとれたので恵比寿のNADIFFa/p/a/r/tで2010.1.17までやってる
「森山大道around magazine work 1965-1974」を見てきました
友達に森山大道が好きな人がいて、それまではそこまで気にはしてなかったんだけど
最近見返してみると、その異臭が伝わってくるまでの写真の生々しさに圧倒されて
今回の展示会も期待を裏切らない内容

生を帯びたような写真の数々

刺激になりました
セバスチャンサルガドとは違ったそこに生きる存在する物の強さを感じました
今度写真をとるときは粒子の粗い物でとってみよう
そう思わずにはいられません

はい、そうです
ミーハーです
ではではおやすみなさい。



2010.01.15(Fri) - 写真


山崎レポ

授業の課題であった円形を利用した施設の提案
津田沼小学校を見学しに行ってそれをもとにリノベーションを行いました
この津田沼校舎は今後立て替えにより壊されるということが前提にありました
その中で残せるものはなんなのか
記憶として残るものは内部で行われていた経験ではなく
円形という視覚的な記憶であるとして外壁を残す
新たにできた小学校の内壁は昔存在してた外壁を生活の一部として新たに時を刻み続ける
そんな小学校の提案




yama




2009.07.31(Fri) - 学校


十日町情報館

「十日町情報館」
設計:内藤廣建築設計事務所

越後妻有アートトリエンナーレ が始まって以来、徐々に知名度を挙げて有名になってきている十日町。この町を車で走っていると、アート作品の案内となる黄色い旗を見る事ができる。あまりにもそこら中にアートが散在しているので一種の宝探しをしているかのようにも思える様な町。
徐々に町がアート色豊かな町に変化していく中、辺り一面大自然に囲まれてこの建築は主張する事なくごくごく普通に町の中にとけ込んでいました。
内部空間はアスプルンドのストックホルム県立図書館を彷彿させるような書架に囲まれた空間。アスプルンドが西洋の古典様式を引用したのだとすれば、この建築は日本の古典様式、民家というよりは寺のディーテールを思い起こさせるような建築でした。
やっぱりモダニズム建築でもそうだし、構造体を無骨にあらわにさせている様というのには萌えます。萌えっていうのもおかしいかもしれないけど、ちょっと廃墟っぽいノスタルジーを感じさせてくれるのもこの構造体の役割ではないかと最近思う
「人類が消えた世界」/アランワイズマン
の本のイメージの中で、人類がいなくなった世界がどのような変化と遂げたかが挙げられているが
その中で残っているのは生活感が残る物など存在してい
存在していないというか時間がたちすぎていて風化して何も残っていないと言った方が正しいかもしれないのだけれども
残っているのは壁や柱、床スラブといった構造体のみ
それが建築の終末、廃墟のイメージだとすれば
そこで生活感があっても建てられてとき既に終わりを見た建築なような気がした
構造体がむき出しの建物全般的にいえるのかもしれないけど

にしても360度本に囲まれた図書館って気持ちがいい
なんかいいよな、本って
自分の部屋も辺り一面本だらけにしたいと思わずにはいられない
まぁ、そんな本の量はないけれど

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2009.07.20(Mon) - 建築


必然性

新国立美術館で7月27日までやってる
野村 仁
    - 変化する相 時・場・身体
の展示会にいってきました。

高く積み上げられた段ボールが日に日に崩れ落ちて行く
誰にもコントロールできない自然のすごみを違った角度からみれるような作品であったり
一年を通して同じ時間に月をとり続けその奇跡が下の写真にも見えるようなループを描いているような作品だったり
普段は気がつかない(気がつかない)部分を抽出してそれを昇華させる
その美しさといったらない
自然のなかに存在しているものを原理的に解明していくのも面白いとは思うが
本当はある原理的に解明した一定のルールは存在していたとしてもそこに必然なんてないんじゃないかなっておもう
そんな単純に世界はできていないし
生物学者の福岡伸一がいう『動的平衡』という言葉を引用してきたとしても
一側面から物事は決してなりたってはいないから
最近の蜂の大量失踪事件に関しても、ある見方では人間が蜂の栄養に不可欠な花粉を一カ所で大量生産してしまったが故にバランスが崩れてしまったためにおこったものとして見る見方もある。

今は人間の合理性からはなれた多様性
マイナスがあってプラスがあるような状態が一番好ましいんじゃないかと思う
当事者である僕たちはプラスのことばかりにしか目がいかないから難しいんだとは思うけど

なんかそんなことをふと考えさせられた展示会でした
なんちって

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2009.07.11(Sat) - 放浪


よこすかすか

豚インフルのせいで一週間学校入れませんでした
おかげでいろんなもんが先延ばし

坂倉順三展

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モダニズム建築の圧倒的な力強さが最近つぼ
水平方向の伸びの強いファサード
柱、梁の主張の強さ
回遊性が高く、見せ場がきちんと意図とされている感じといい
たまりません



横須賀美術館

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横須賀にあるだけあって海の中にいるような空間が意識されているような感じがした
隅が湾曲してることで光がぼやけて全体がはっきりしない感じの内部空間
天井高が高く、開口部が丸くて反射光を取り入れてるために光が拡散してして遠近感がつかみづらかった

最近は俄然、質量感が気になります


○宣伝
input-outputの繰り返しを行う即日設計を大体月2でやってます
どんな感じでやってるのかな〜でもなんでもかまわないんで
興味あったらコメントください
よろしくです



2009.06.22(Mon) - 放浪


いまさらながらの卒業制作

ずいぶん終わってから時間がたったけど
そのままにしておくのもなんなんでこれで完全に終わりにしようと思います。


title : 現象建築 -archinature-

僕らの周りには超合理的な物があふれかえっている
資本主義経済がそのような景色を構築していったのか
それとも産業革命による手工業の衰退がそのような結末を生み出してしまったのか
いずれにしても人間主体でしか物事は考えられていないが故の結末
変化していく環境に対して建築は何らかのアプローチをするべきだと考えました

人間にとっての快適さを求めるような回答ではなくて
また、自然の中に場所を作りこむようなことではなくて
形を持つが上の建築に、自然の中にある必然性を求めたい

僕はその中で化学反応を建築化すること
宇宙から見たときに地球を包み込む境界の様に見えたオーロラを建築化することを試みました

このオーロラ建築は自然を内包しながらずるずると繋がっていく

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dip04

dip03










2009.05.01(Fri) - 建築


春ですね

卒業制作も無事終えたしそろそろちょいちょい書いてくつもりです


n1


リセット。
一回考えたことはスーファミのように簡単にはデータは飛ばないけど
卒製でやってたことは熟成させるためにも隅においておこう



これからの研究テーマなににしよう。
テーマ決めはもうすぐそこ

なにがやりたいのかはっきりしていないけど
ただやっぱり人工物である建築を、人間主体の合理性では考えたくはないみたい





あー春だ

n2

むぅ〜ん


2009.04.06(Mon) - 放浪


大谷資料館

大谷資料館は戦前から大谷石の採掘場がそのまま今ではコンサートや美術展、演劇場、地下の教会として、また写真や映画のスタジオとして使われていところ

那須の方に足をのばした際によってきました

全ての形に意図があり
それは自然的にできていて
人工的に作られた空間なのに永遠性をなぜだか感じるような空間だった
概念はのこるのか

廃れることのない
むしろ廃れているのかもしれないけどその中間領域
こんな建物建てたいな


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生きてきたなかで一番ショックな空間だったかもしれない





2008.07.18(Fri) - 建築





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